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2012年4月27日 11:08

ゴールデンウィーク。

明日からゴールデンウィークのお休みに入ります。今年は寒かったですが,やはり時に沿って移るもので,5月を迎えるに相応しい陽気が,とりわけ今日には見られます。

国の仕組みは歪み,政治も行政も,いよいよ押さえが利かなくなってきました。本当はしばらく前に訪れていた大きな転換点が,目に見えて実感される今日この頃です。

国家社会や国家経済とともに歩む我々のような資格者の世界も,当然に,今後大きく様変わりするように思います。よって益々に,いつの時代も変わらない核心をこそ磨いて,地に足をつけて頑張っていく必要があります。

しかし休みは休みらしく,家族と遊んで過ごそうと思います。

2011年9月13日 12:28

秋。

ここ数日はまた少し蒸し暑いですが,そろそろ秋が訪れています。最初に訪れたのは,10日ほど前のある日でしたね。

秋の場合は,夏と完全に別離したような,透き通るような涼しさを感じる日が確かにあります。夏には心燃えるほどに肌を射す日が,冬にはどこまでも小さい自分の儚さを縮こまった肩に固定するようなある日が,それぞれに確かにあります。

こういう一日が大好きです。生きている実感,自分というものの存在,自分と季節との関係をしっかり感じさせる瞬間があるからです。秋はもう迎えて,これからはゆっくりと味わう季節です。次は冬において,この素晴らしい瞬間を楽しみにしたいと思います。

2011年8月 6日 16:36

病院,板金。

子供が患って,大きな病院に一週間ほど入院しています。病院は,時に社会の非難を受けることもありますが,医師への信頼は言うに及ばず,その運営,業務の循環と継続性ということについて,よほど進んでいる組織体であると思います。今回時折子供を見に行って,改めて実感しました。大変な努力に感謝したいと思います。 

一方,過日車に傷がついたので,板金工場に直しに出しました。数日の営業日で車はもどってきましたが,考えていたより相当に費用は安くあがりました。受け手の規模にみても,労働集約的な工程をみても,どう考えてもその費用は安いと思え,相当な営業努力を感じました。

サービスがいいからどうということではない。先進的であるかどうかという問題ではない。また安いからどうということではない。その分に応じた最善の努力を行っているかという点において,誠に頭が下がる思いがしました。感謝をして,我が身に転嫁しなければ,患い毀損した本当の意味がないと思います。その意味を深く考えて,身に修めたいと思います。

 

2011年7月17日 22:35

草刈作業。

先日自治会関係の公園の草刈作業に行ってきました。夏真っ盛りの,汗をかきながらの,草むしりの作業です。

これから自治体の人口が減って,経済的に苦しくなって,公共物や共有物の管理や処分ということの意味が問われてきます。

さて,この生活のすべてを覆っている文物は,それぞれ誰に帰属して,誰の経済で,責任で,保存・利用・改良・処分がなされているのか。生きるために本来必要な,知ってしかるべき厳しい認識が,これから問われてくると思います。

果たして我々の大勢に,それを受け止める知性と根性があるでしょうか。明治以降戦中世代までの頑張りの余韻で,戦後の少しの間,いいとこ取りのぬるま湯に浸かりすぎたので,拙い屁理屈は言っても(日本人の大方の屁理屈は本当に拙く恥ずかしい),本当の強さと聡明さにおいて,甚だ心もとないように思います。

頑張るべきは,我が世代だと信じます。

先の冬はとても寒い冬でした。また長い冬でした。しかし急を告げて暖かくなりました。直近天気も優れています。

これから暑くなります。夏の暑さもさることながら,春風の爽やかさと,有無を言わせぬ真夏の灼熱に挟まれた6月のそれは,中途半端であるが故に身に染みて,気持ちも塞がるのが常です。

暑いときは暑いとあるがままに受け止めてしまうのがいいです。そういうものだと全身で受け止めるのがいいです。避けられるようなそうでないような気持ちはよくありません。その暑さは,戦争末期に南方で戦った先人に比べるべくもない。暑い暑いというのも恥ずかしいことです。

快適に慣れると,そんな中途半端な気持ちが生まれます。苦しいときは正面から,全身でそれを受け止めるのがいいです。苦しみを身を斜めにかわしたり,誰かが何とかしてくれるとするのは望ましくないです。

安政の大獄に天に召された幕末の天才橋本左内先生は,その15歳に『啓発録』をしたためて人生を規定されましたが,文書のはじめに「稚心を去る」を言い,これを文書の通則とし(他に言う「気を振う」「志を立つ」「学に務む」「交友を択ぶ」を貫くもの),生きるの根本規則とされ,末に天下一流の大人物となられました。

稚心とはおさなごころのこと,子供のように甘えた心のことです。誰かがなんとかしてくれるという心,責任を他に転嫁する拗ねた心です。すなわち,大人物たるには子の如き拗けたる甘えの一切を捨てよ!という強い命令です。誰しも自分はすっかり大人で,子供染みた心など持ち合わせていないと思うものですが,真に自省すれば,大方最後は誰かがなんとかしてくれるという稚心に満ち満ちているものです。大人の判断である,政治的判断である,これが慣例である,などという詭弁で稚心を覆っていないか。

己の一挙手一投足に稚心がないかを自省せよとの言葉は,橋本左内先生がこの世に残した日本の宝物だと信じます。

つまりは,灼熱であれ何であれ暑いくらいで甘えてはいけません。暑い暑いと社交的に言うのはよし,本心は蒸されず冷え冷えと緊張して,自己を見つめていなければ。

2011年4月18日 20:11

気節行義。

最近また天気が優れません。寒暖も,今年はなかなか安定しないです。ご存知のとおりの,政治状況・社会状況です。

しかしこういうときこそ,自分を取り巻いている体外的情況に対して,その反対の,青々とした気力で相対しなければなりません。それがバランスというものであり,陰陽というものであり,正しい態度だと思います。

溌剌として強く,筋金が入って気魄があり,いざ断固として正義を行う。大言壮語をしない。取り繕って言わない。議論にあらず,事業にあり。ただ淡々と,また堂々と,誠を積む。吉田松陰先生はこういう人間の有様を,「気節行儀」という言葉で表して尊び実践されました。

気節行義!素晴らしい言葉です。

2011年4月14日 17:33

過ぎ行く桜。

桜が散り始めています。今年は花見にも行きませんでした。桜は日本の歴史にあって,ときに取りざたされたり,忘られたりしているようです。先の戦中は,国家統合のシンボルとして儚くも荒々しく用いられ,戦後はわずかに残る日本的なものの象徴として眺められてきましたが,今年はおそらく戦後指折りの,桜が省みられることのない年になりました。

近年各地の山桜が傷んでいると聞き及んでいます。山桜は,守るべき大切なものだと思います。

2011年4月13日 06:41

言葉の取り扱い方。

言葉というのは短いほうがいいですね。短ければ短いほうがいいと思います。

言葉というのは究極には意思の伝達方法ですから,直接的であるのがいいです。大作家の言葉は豊富ですがこれらは技芸です。幻です。本物の技芸は,幻という虚を利用して意識的無意識的に一片の真実を見させるものですが,受け手に相当の力を要求しますし,幻を通さないでも直球で伝えられるならそれに越したことはありません。技芸には弊害があるからです。

その意味で漢文は今もって理想的です。短くて復元力に優れます。古代日本では一音で物言いをしたらしいですが,これはよりいいです。一語の言葉さえ慎んで以心伝心ができるならさらに理想です。結局,ことの本質を伝えられるかどうかは言葉数ではなくて想像力と直覚力によります。洞察力によります。発信するものの力によります。

例えば「仁」という言葉があります。「義」や「孝」という言葉があります。非常に短い言葉です。しかし,だからといって曖昧なのではなく,理解するものには明瞭な言葉です。頼りは人間の確信です。1+1=2であるならば2+2=4であるという根拠が人間の確信によることと変わりはありません。しかし後者の確信は少し弱いです。むしろ便宜そう決めたという性質のものです。科学はすべて便宜そう決めた,そういうことにしておく,という意味に限定された確信であって,真理そのものとは異なります。

言葉は手段です。伝えたいのは想いです。想いとは精神です。言葉は本物の精神を伝える場合にのみ尊いです。逆の道はありません。言葉が大切であるとはそういう意味です。

言葉に力があるとは,精神に力があることと同義です。そういう力こそ鍛えなければいけません。

そして不思議なことには,精神の力を鍛えることと言葉を慎むことは同義です。 本質的なものは豊かであるほどよく,道具や技術は節約するだけよいとは,真理です。

2011年3月27日 14:10

久度神社に参拝しました。

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今日久度神社に参拝してきました。近くで生きていながら,初めて参拝して少しだけ勉強してきました。この初めてということを非常に恥ずかしく思うと同時に,また嬉しくも思いました。

宮司によれば歴史は奈良時代に遡ります。文献としてそうらしく,その先はどこまで登るのかよくわからないようです。

古いものは大切です。新しいものは大切です。心の深淵を求め続けることは大切です。しかし物質とよく取り組むことも大切です。昔王陽明先生は「知良知」をいい,実践主体と客体(実践主体を除くあらゆる外物)との「関係性」を正して天理に至るという哲理を明らかにしました。孔子のいう「仁」も,森信三先生のいう「全一的生命」も,同じことをいうのだと思います。

一見相対するかのように見えるあらゆるものの価値役割と,それらの本来的一体性を自得自証し,その関係性を正して行くことが大切です。世界は空虚なのではなく,「正すべき正しさ」というもののあることを信じます。その確信の根拠は自分の心です。

2011年3月17日 18:26

良寛禅師戒語。

以下は江戸後期の禅僧(曹洞宗),良寛和尚が遺された戒めであるそうです。森信三先生の『修身教授録』(致知出版社)からの引用です。私はこれを森信三先生の著書によるすすめによって知りました。

一見すると当たり前ではないかと思え,そして自分がこのような人間と正対したならばきっと嫌な思いをするだろうと思うのですが,よくよく自分というものを振り返ってみれば,多くの部分でまるで自分に一致することを感じ,そしてすべての部分において少なからず自分に一致することを愕然として知ります。

私は机の横にこれを貼りつけて戒めるようにしています。しかし30年かかって習い身についた性根というものはなかなか簡単には修まってはくれません。ただ続けるほかないですね。

 

 

一 ことばの多き

一 口のはやき

一 とわずがたり

一 さしで口

一 手がら話

一 公事の話

一 公儀のさた

一 人のもの言いきらぬ中に物言う

一 ことばのたがう

一 能く心得ぬ事を人に教うる

一 物言ひのきわどき

一 はなしの長き

一 こうしゃくの長き

一 ついでなき話

一 自まん話

一 いさかい話

一 物言いのはてしなき

一 へらず口

一 子供をたらす

一 たやすく約束する

一 ことごとしく物言う

一 いかつがましく物言う

一 ことわり(理屈)のすぎたる

一 そのことを果たさぬ中にこの事を言う

一 人のはなしのじゃまする

一 しめやかなる座にて心なく物言う

一 事々に人のあいさつを聞こうとする

一 酒にえいてことわり(理屈)言う

一 さきに居た人間にことわり(理屈)を言う

一 親せつらしく物言う

一 人のことを聞きとらず挨拶する

一 悪しきと知りながら言い通す

一 物知り顔に言う

一 ひき事の多き

一 あの人に言いてよきことをこの人に言う

一 へつらう事

一 あなどる事

一 人のかくすことをあからさまに言う

一 顔をみつめて物言う

一 腹立てる時ことわり(理屈)を言う

一 はやまり過ぎたる

一 己が氏素性の高きを人に語る

一 推し量りのことを真事になして言う

一 ことばとがめ

一 さしたることもなきことをこまごまと言う

一 見ること聞くことを一つ一つ言う

一 役人のよしあし

一 子供のこしゃくなる

一 わかいもののむだ話

一 首をねじて理屈を言う

一 ひき事のたがう

一 おしのつよき

一 いきもつきあわせず物言う

一 好んでから言葉を使う

一 くちまね

一 都言葉などをおぼえしたり顔に言う

一 ねいりたる人をあわただしくおこす

一 説法の上手下手

一 よく物のこうしゃくをしたがる

一 老人のくどき

一 しかた話

一 こわいろ

一 口をすぼめて物言う

一 めずらしき話のかさなる

一 品に似合わぬ話

一 人のことわり(理屈)を聞き取らずしておのがことを言いとおす

一 田舎者の江戸言葉

一 よく知らぬことを憚りなく言う

一 きき取り話

一 人にあうて都合よく取りつくろうて言う

一 わざと無ぞうさに言う

一 貴人に対してあういたしまする

一 学者くさき話

一 風雅くさき話

一 さしてもなき事を論ずる

一 人のきりょうのあるなし

一 幸の重なりたる時,物多くもらう時,有難き事を言う

一 くれて後人にその事を語る

一 おれがこうしたこうした

一 あいだのきれぬように物言う

一 説法者の弁をおぼえて或はそう致しました所でなげきかなしむ

一 さとりくさき話

一 茶人くさき話

一 くわの口きく

一 ふしもなき事にふしを立つる

一 あくびと共にねん仏

一 人にくれぬ先に何々やろうと言う

一 あう致しました,こう致しました,ましたましたのあまり重なる

一 はなであしらう

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