
今年の夏は夏らしい夏だ。
暑い夏。とてつもなく暑い。空は,久方ぶりに青地を白い雲が占めている。吸い込むように青い,押し出すように青い,雲の白さもまたしかりである。
今年の夏は夏らしい夏を。
両親と妻子を伴って沖縄旅行に出かけた。両親にとっては初めての沖縄。私にとっては複数回の経験。遠方旅行のうちでは沖縄が一番数多く通っていて,ガイドブック程度の事情には通じているので気持ちも楽であった。
今回は恩納村のルネッサンスリゾートと,那覇はロワジールホテルに宿泊した。本島もここ15年ほどでリゾートホテルがいくらか建って,古いところのいくつかは閑散に追い込まれているようだ。現在のルネッサンスは,私の学生時分ははラマダといって本島で抜群の豪奢ぶりを誇っていたが,先に言ったホテル建設や時代の求めに従って多少の趣の変化を見せつつも,未だ本島リゾートにおける代表的な施設と言っていいと思う。今回15年以上を経て訪れて,あまりに変わっていないことに驚いた。メンテナンスがしっかりしている印象を受ける。
ところで遠方に旅行に出て現地でいつも感じることは,この施設,この風景,この青や緑を今度いつ見ることができるんだろうということ。もう二度と見ることがないのだろうかということ。そして見ぬ間に目の前のすべては,どういう風な時を刻んで,歴史を経験して,どのようにその姿を変えていくのだろうかということ。そして一番切なるものは,その姿の移ろいを,どうして自分は眺めることができないのだろうかという哀しみにも似た感情である。どうして永遠はないのか(いや,きっとあるんだという確信を含めて)。いつも,私は旅行の時折にそのような強い想いに動かされて,これが旅行の単純な喜びをいささか減殺し,また脅迫的に一枚の写真を写し遺させるのである。
今般の旅行は,還暦をとうに過ごした両親と,純粋無垢な時代を生きる子供たちを伴うが故に,とびっきりの楽しみに対応する大きな哀しみが,例によって旅程の道連れになる成り行きであった。
楽しい。哀しい。切り離すことができない強い想い。
澄んだ海にも,主なき首里城の朱にも,それらの想いは入り混じって滲んでいた。
さて,大きな旅行をした後の疲れた体に鞭打って,市民プール的プールにもすかさず足を運んだ。いやあ,久しぶり。今回は厳密には市民プールではなく民間の遊園地のプールであったが,ああいった風景をもつプールという意で,あえて市民プール的プールと言おう。
こちらはそれにしても人が多い。しかし非難はできない。なぜなら自分もその一員だから。お前が帰れと言われたら致し方がない。
浅いプールに人がいっぱい。波打つプールに子供がいっぱい。流れるそれにも家族がいっぱいである。きっと上空から眺めたら,人の頭と水面の割合は拮抗して,プールに人が集っているのか,たくさんの人がそれぞれにいくらかの潤いを持ち寄っているのか分かりはしない。
とても疲れるが楽しい。しかしこちらの水辺には哀しみの入り込む余地はない。核家族,わいわい,よいしょよいしょ,かき氷に焼きそばに食えないたこ焼き。これらに哀しみは似つかわしくない。
あ,一点忘れていた。このプールの賑わいからきつい夏風邪をもらったのであった。実証はしないが,きっとこのプールの水を通じてに違いない(ほんとか?)。
もっとも,夏風邪の身体的なつらさなど,旅行によって訪れるあの内的で切実なな哀しみに比べれば,実にたわいのないつらさに過ぎないのであるが。
追伸 風邪はほぼ治りました。
