
先の連休(先月月初の)のお尻。エンドロールが消え行く最後のところでふと思い立って、久しぶりに神戸に足を運んだ。いらないと言われて不憫な神戸空港にも興味半分で寄ってみた(綺麗だった。綺麗だから有意義だとは言わない)。それから変な癖がついて、三週続けて休みに神戸に足が向いた。忘れていた物事に久しぶりに触れるとにわかに熱をもってそれがなかなか引かないことがある。
唐突だがやっぱり神戸は素敵だ。私の知っている街も人も素敵だ。今回は街は外から眺めて、人にもそれほどに接することがなかったが、それでも神戸は素敵である。あのつっぱった感じ。あの粋がった感じ。京都とは全然違う、東京とも異なった、古すぎず新しすぎない、ほどよく熟成された形式と自尊心がまだまだ神戸には残っていると思う。
久しぶりに阪神高速神戸線を走った。以前は頻繁に走った記憶もあるが、最近はあちらのほうに向かうのにも混雑を避けて近畿道経由で中国道に抜けるので(こっちも宝塚あたりが鬼門だが)、阪神高速神戸線は懐かしいような感じがした。
大阪から神戸へと。神戸線を伊丹や宝塚を遥かに北に感じつつ(こちらは近畿道や中国道の領分である)武庫川を渡ってしばらく走ると、ほどなく右手、六甲山系の山並みを背景に西宮の苦楽園や甲陽園が眺められ、夙川の雲井・殿山等々からその向こうに芦屋六麓荘町、西に山手町、下って山芦屋町、そして岡本、住吉、御影、、、と連なる、一連の阪神間の住宅地が次々と現れてくる。大正から昭和初期にかけて電鉄事業者等によって開発された数々の住宅地は、現在でも、質スケールともに日本を代表する高級住宅地群として疑いようが無い実質を呈している。
この大正から昭和初期年間における住宅地の形成、洋式建築、ライフスタイル、美術、文学、演劇、娯楽の勃興は当時の日本の最先端を走り、人的にも物的にも我が国の代表的な文化圏を形作って、所謂「阪神間モダニズム」として現在に語り継がれている。明治から大正にかけての国家あげての西洋模倣がこのモダニズムを日本に最も「格好いい」ものとして認識させたのは当然のことであるが、戦後経済成長を遂げて曲がり角を曲がった現在の日本においても、少しのロマンチシズムに嵩上げされつつも、なおやはり凌駕することを得ない「格好いい」ものとして力と美しさとを逞しくしていることは否定し得ない事実である。むしろちょっとした社会階層の固定化傾向が、憧れを絶望的な強度に強めるようですらある。
ところで、私は数年前よりこの阪神間モダニズムの魅力に憑かれて何冊かの書籍を購入した。そして一種の憧憬をもって写真を見つめ、文章から多少の情報を得た。きっと阪神間にたくさんの人が集って一つの文化圏を形成した際にそこに集まる動機となったのもきっと私が惹かれた素朴な感情にそれほど相違のないようなものだったはずだ。
しかしこの憧れの力というのは大きい。純粋に資力から言ったって職住近接という理想からいったって私には到底縁のない一連の住宅地であるが、この憧れを支える地盤たる住宅地や文化圏は、まだまだ人を惹きつける魅力を失ってはいない。
さてこの魅力は何処から来るのか。どうして魅力を失わずにいるのか。神戸の居留地なんていうものは、明治に租借地をイギリス人技師の手によって開かれたほんの一角に過ぎないのに、この地域のビジネスの本拠となり、未だに綺麗な街並みとして名所となり、関西一流のブティック街となっているのはどうした加減か。
解は如何に。およそ近代には精神的なものと物質的なもの、すなわち自由で自立した思想と、自然科学が生み出した圧倒的な成果物という、物心の両面があり、日本においては後者のみを経験して前者を未だ経験しないというのが現代思想における常識的分析となっているところ、この置き忘れてきた精神的なものとしての近代の亡霊が、正当に供養されないばかりに、日本のあちこちに今になって漂っているということだろうか。しかしこんな言い草は、あまりに言い古されていて、しかし何か違うような気もするのである。
ここに面白い話がある。
奈良県はよい土地だという話がある。有史遡るとこの国の中心はやはり大和にあると言う。伝統を言うのであれば、一番の伝統は大和の土地にある。天災は少なく、土地も肥沃で、農業には適している(適していた)。真に物を知る教養のあるものは、やはり大和に、奈良に住まなければならないと。阪神間などほん少し前までは荒れきった惨めな崖っぷちではないか。
阪神間はやはりよいところであるという話がある。おしゃれである。文化的である。阪神間モダニズムを知らないのか。芸術のわかるものはみなこちらにいるよ。住友さんも、○○さんも、▲▲さんも誰も彼も、お金持ちはこちらにいるじゃあないか。すっきり区画整理された見晴らしのいい住まいより気持ちいいものはないよ。風もいいよ。いろんなお店があるよ。いつまでも古代の歴史にしがみついて何もしないみっともない土地は私はいやだね。
ところで現在奈良県下では、平成遷都1300年の記念祭が行われている。具体的に何処で何が行われているのか私にもよくわからないようなことで、やっぱり奈良県はこういうのが下手なんだと思わざるを得ないが、平城京のもとでも、またより遡って飛鳥時代においても、大陸から導かれた文化、生活様式、生活の仕方が、より新しく「格好よく」機能的なものとして受け入れられて、いつしかそれが自国の文化となった。日本の個性となった。時代を下っても影に日向に同じような営みを為し、明治以降は東京に阪神間に西洋的なそれを取り込んだ。
以上のように、この国は外部からいろんなものを摂取して自国の文化を発展させてきたという一般的な歴史認識は動かしがたい事実であるし、とはいえやはり自国において独自に発展し精製した文化も多様にあって、またそれが大陸や西洋世界に多大な積極的影響を及ぼした事実も確かに存在する。
しかしこんなことは西洋内部においても同じことで、どの文化のどちらが始まりでどちらが模倣であるとか、どちらが偉いとか阿呆とか、現代においては誰にも客観的・普遍的に判断ができるものではなく、またしてはならないことになっており、視点と時点をどのように切り取るかによっていかようにも考え得るものであるから、よってそんなことを考え詰めていくと良く言えば百花繚乱で悪く言えば問題解決の不能を共通の得意技とするような、所謂「現代思想」の混迷の中に落ちるほかはなく、有史以来西洋が顕著に繰り返してきたような「主義」の堂々巡りに舞い戻る道を辿るのであり、もって煎じ詰めれば人間たるものの行き着くところは結局宗教的な一点に遡ってその答えを求めざるを得ないのである。求めるのか求めないのかは重大な問題であるが、私は最近求めなければならないような気がしてきている。もちろん将来どう考えているかは知れない。
まあまあ。ややこしいことを言わなくとも自由な時代ではある。洋館に住まおうが書院造でお茶をたてようが、またマンションの一室でインターネットの猥褻に身を崩そうが、人様に迷惑をかけないでいれば何をしようが勝手ということになっている。
今がどんな時代かという正しい分析することも、とんでもない時代だと主張立証して解決に真実の議論を提出することも、いずれも到底あたわざる能力しか持ち合わせない私としては、やっぱりもっと大きなところから考えて、感じて、自由に選択して生きるほかないようである。
さて。目的なく書き殴りをして落としどころを探っていたが、えらい脱線ぶりに、もはや収集不能だ。事務所の窓を透かして、西から涼しい日が射してきた。
私は、緑豊かな奈良の空気を吸って職住を過ごし、阪神間のモダニズムに憧憬を抱き、そして大阪の現代に酔い遊ぶ。私の中では何ら矛盾がない。
ではそろそろ神棚に挨拶をして、自動車で帰って、洋食(今日は和食かな?)をたいらげてビールをぐっとやり、最後は和室の布団で休むことにする。




