家は元禄時代より儒者役として三田藩主に仕える。祖父、白州退蔵は藩主に抜擢され藩政に多大なる貢献を為す。維新後は三田県大参事として邁進。元横浜正金銀行(現三菱東京UFJ銀行)頭取。事業家として神戸市開発や神戸女学院の創立にも尽力。父、白州文平は綿貿易を行う白州商店で巨万の財を為し桁外れの豪傑として白州将軍の異名をとる。
妻は白州正子。正子の祖父は海軍大将樺山資紀伯爵。父樺山愛輔は英国ロイター協力のもと現共同通信社を創始した。保険、金融など事業会社の経営を渡った後貴族院議員。数多くの国際的文化的事業を指導する。
吉田茂の懐刀
終戦連絡中央事務局次長、憲法改正過程に深く関与
貿易庁初代長官、現経済産業省設立に大きく寄与
サンフランシスコ講和会議随行、吉田演説を書き直し沖縄等返還に大きく寄与
東北電力会長、大洋漁業・日本テレビ・ウォーバーグ証券等の経営に寄与
軽井沢ゴルフクラブ理事長
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本当に優秀なるものは決して矢面に立って振舞えない、振舞わない、という我が国にあって、常識を打ち破る奮闘ぶりである。
「白州次郎」
私が最も尊敬する実務家の一人だ。日本人が大戦後の占領政策によって自国の歴史を驚くほど忘却していったのは少なくとも現在未だ認めざるを得ない悲劇だけれども、もうひとつ驚くべきことがある。それは、そうした自国の歴史を作った長い長い歴史、アイデンティティだけではなく、戦後史というつい昨日の思い出すらも、どんどんと忘れていくのが当たり前という態度である。時代は常に進化して、昨日のことなど取るに足りないという、今日は昨日より必ず優越するという、実にこれほど確実に誤った態度である。精神よりも技術、熟慮よりも軽薄な行動、謙抑よりも虚栄、慈愛よりも恫喝、こういったいかにも浅薄な態度をどのようにして身につけたかはわからんけれども本当に憂慮すべき事態で、衷心から下らないと断言するビジネス本やお金の本など読んでいる暇があったら、白州次郎などという重大なる人物がいかに生きたかということを少しでも知る契機と為されたく、白州に関する基本的な三冊の本を紹介したいと思う。
青柳恵介『風の男 白洲次郎』(新潮文庫)
麻生和子、犬丸一郎、加川隆明、小林與三次、堤清二、中部慶次郎、宮澤喜一が発起人となって、渥美建夫、玉川敏雄、豊田章一郎、成田昭夫、永山時雄が幹事となって、そして青柳恵介を書き手として記された白州次郎伝の定番中の定番。発起人や幹事が、吉田茂や正力松太郎、出光佐三、小林秀雄や今日出海、河上徹太郎等々白州と汗を流し白州をよく知るものが物故する中白州の足跡が霧散するのを危惧し足跡を残すべく企図されたのが本書である。まずは絶対にこれを読んでもらいたい。評伝であるから、白州次郎や妻正子の出自から、その出会い、終戦連絡事務局でのGHQとの折衝、財界活動から晩年の「粋」に至るまで網羅して白州を知ることができる。必読。
白洲次郎『プリンシプルのない日本』(新潮文庫)
これも必読。なにせまとまって書を残さなかった白州であるから、文芸春秋に載せられたすべて白州自身の筆致が堪能できることから必読というほかない。白州は文学を読まなかったというが、小林秀雄や河上徹太郎といった名だたる文士と交流をしうるだけのことはある味わいのある文章を書いている。白州に言わせると、これがオックスブリッジ的な日本語だ、というところじゃあないだろうか。これを読むと、当時敗戦に乗じて、豹変してアメリカに媚を売るものや、反面敗戦の割り切りができずに、破綻した財政の認識を見ないで国家に寄生するものが跋扈していたことが強く伺われる。なんだこれは、今と何にもかわらないではないか、とあきれたり、ほとほと嫌になったりする。そういう読み方もできる。
白洲次郎ほか『白洲次郎の流儀』(新潮社)
写真集としての実質が半分程度と、残りの半分は正子、桂子といった妻子やごく近いものの白州をめぐる回想記である。まず貴重な写真が多数掲載されているのがよい。写真は生涯に渡る。これはもう見ていただくほかはない。貴重ですよ、本当に。
それから、その回想記、思い出話であるが、私が思うところは、この中で特に親族が、白州を褒めちぎったりしていないということである。こんなことがあった、あんなことがあった、と書いている。私はこの態度は本物だと思った。白州が本当に慕われている証拠物がこれである。飾るでなく、美談を持ち出さず、淡々と思い出を語る態度は、本物の愛情を表象しているし、また実直という白州の血がこのものにも息づいているなと思うのである。
以上三冊。初めのものは総合的な評伝で大きな話、次のものは自身による意見の表明で、そして最後は近しいものの視点が表される。この三つを読めば、ほんの少し白州が現れるような気持ちになることができる。
さて、白州を捉えて血統の違いだよとか、金持ちのボンボンのなせる業であると語る向きがままあるが、全くの見当違いであり馬鹿馬鹿しい。白州の残した数少ない文筆を直接読んでもらいたい。批判は本当か。借り物ではない自分の言葉。その筆致のすがすがしさと、勇気と、ユーモアと、少し皮肉な含蓄と。原理に固執し、金や権力の横暴から風のように去るその態度と。英国的であり日本的であるその態度への批判は本当か。本当であるか。
もちろん血統や資力の違いは争えまい。だがそれがなんだというのだ。そんなものを持っている人間が貧しい人間より高貴でいられる理由がどこにあろうか。少なくとも今の日本においてはそんなものが横柄で堕落している例に事欠かないのだ。むしろそれが常態ではないか。生まれの違う人間はそれなりの責任と義務を負う。どこまで社会を捏ね繰り回したって、やっぱり生まれの宿命を消し去ることはできないんじゃないか。血統も、資力も、そして才能も。私はそう思う。ならば役割分担をしっかりと果たしてもらい、「精神の潔癖」さえも引き継いでいただくのが筋である。
敗戦後には珍しく、生まれにふさわしい正当で真っ当な活躍を当たり前のように行い、激動の戦後史を英国貴族のように、本来の武士のように駆けた白州に、私は快哉を叫び、敬服をし、それをもって現代日本を享受することへの感謝の言葉に代えたい。
最後に少し引用しておきたい。プリンシプル(原理原則)を重んじ、単純な正義感にこだわる白州が、政治家の後継問題について「後継なんてお前が決めるものじゃない。主権者が決めるんだ。自惚れを脱いでさっさとやめろ。後は何とでもなる。」という趣旨の発言をした後次のように語る。
「政治家の一部の人がよく口癖のようにいう言葉で、聞いた途端に私は腹が立つことがある。それは「政治は腹だ」といって自分の無能無策に気が付かない輩がいることである。我々国民に関する限り、政治家の「ハラ」なんかに関心も興味もない。政治家の持つ思想信念が何かということを知り度いと思うだけである。政治は「ハラ」だ「ハラ」だといっているうちに再建は遅れ、その腹芸による闇取引は横行し、しまいには腹を切っても申し訳が立たない様な事態に行き詰るのを憂うる丈である。こんなことをいうとあんな「ハラ」のない奴に我々の「ハラ」なんか判るかと一蹴されることは請け合いである。これも事実である。私にはそんな「ハラ」の持ち合わせはない。幸か不幸か?」
何たる爽快。



